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「Music is Love」Special Contents
CD「Music is Love」のスペシャルコンテンツページです。
非定期にコンテンツがアップデートされていきます。


「あなたの情熱のために」について / 津田直士
この作品の基本となるテーマは情熱ですが、その背景にあるより詳細なテーマは「情熱の強さのあまりに、大切なものを見失ってしまって、誰も知らないうちにその情熱が心を壊してしまい、苦しんでいる大切な人のことを、気遣い想う深い愛」というものです。
情熱が生み出す大いなる結果の一方で、情熱が本人を滅ぼしてしまうこともあるという不条理。
そして、そのまま情熱がその人を滅ぼしてしまわないよう、見失いかけているその人を支え、繋ぎとめる深い愛の存在や不在。
水晶の生み出す歌詞世界は、人間の本質が持つとても大切な部分を描き出すために、自分のすぐそばにいる人から、直接会うことはないけれどその気持ちが痛いほどわかる人、そして映画で描かれる偉大なアーティストの光と影まで、自分が見て聞いて感じる、あらゆる経験を練り上げて形にします。
この歌詞にも、近いところでは共に作品を生む津田直士の過去の経験や、世の中の悲しい事件から強く感じる理不尽さとそれを何とかしてあげたかったという強い気持ち、あるいはある世界的なアーティストの人生を描いた映画から感じる、圧倒的なアーティストが共通して経験する煌びやかな世界の裏に潜む悲劇など、何かのバランスが崩れた瞬間に生まれてしまうネガティブなエネルギーから、本人を必死で守ろうとする「理解する愛の力」を描いています。
50年前、聡明で優れた感性を持ったアーティストが、深く傷つきながらも自分自身の人生を全うして、その人生がもたらす素晴らしい音楽で多くの人たちの心を震わる姿、そしてそれを支える愛について、映画を通して知る。
30年前、自分がどのような愛を持って毎日を過ごしていたのか気づかないまま、僕が最近経験した悲しい出来事を話す。
今、リアルタイムで起きてしまった信じられない悲劇に深く悲しみ、そのような出来事が起きてしまった理由を辿り、人の本質が起こしてしまう間違いとそこから逃れられない宿命を感じ、その悲劇にまつわる愛について想いを馳せる。
そして、どんな状況にも共通する一筋の光を感じ、それが「そばにいる誰かが深い愛で支えること」だと水晶は気づき、それを作品にします。
またそれは、水晶自身が自らの人生について自分に問いかける疑問への答へも、直接リンクしているのです。
私の人生と「情熱」 / 井上水晶
数年前、とても理解してくれているはずの人に「あなたの活動は承認欲求です」と言われて深く傷ついたことがある。
このような酷い言葉を、私はこれまでたくさん受け取ってきた。
受け取るたびに心の傷はどんどん増えていき、それらが足枷となって私は自分自身の手で大切な炎を小さくしてしまっていた。
大切な炎。
それは情熱だった。
実は、それが情熱だと気づいたのは、津田さんから曲を受け取ってこの歌詞を書き始めた時だった。
曲が持っているエネルギーは紛れもなく情熱だった。
そのメロディーとサウンドが津田さんそのものだったので、最初に私が感じた情熱は津田さんという人間とその人生から感じる情熱だった。
そこからイメージを広げようとした時、私は自分が情熱という言葉の本当の意味を知っているのか気になり始めた。
情熱。
当たり前に使っている言葉だけど、本当はどういう意味なんだっけ。
情熱って何だろう。
気になった私は調べてみた。
『激しく高まった気持ち』
『感情が熱している心理状態』
『ある物事に向かって気持ちが燃え立つこと』
そうなのか、知らなかった。
私の理解は少し違う。
『誰にも理解されなくても、自分の夢を実現しようとする志』・・・だろうか。
何となく『情熱の原動力は好奇心』という言葉も浮かんだ。
情熱という言葉の意味を調べたり自分なりの解釈を考えているうちに、私は別のことが気になり始めた。
私の情熱って何だろう。
私の情熱はどこにあるんだろう。
もしも私が自分の手で情熱を小さくしてしまい、人生の前進を無理矢理止めてしまっていたのだとしたら、それは間違いだった。
情熱によって前に進み続けることで、痛みはこれからも生まれ続けるのかもしれないけれど、諦めたら一度きりの人生を後悔するのは自分自身だ。
だからこの歌詞には、ギリギリの状況の中で葛藤する切羽詰まった気持ちを込めた。
歌詞の中で、道を見失いそうな「あなた」に向かって語りかける主人公の気持ちは、相手を深く理解しながら、必死なあまり怒りすら覚えながら強く説得している。
きっと、心の底から湧き上がる自分の情熱の全てを、心からきちんと受け入れて前進することで、初めて本当の人生を歩めるのだと思う。
だとしたら、私にとって過去の辛かった無数の経験は、その「情熱」を守っていくための学びだったのだろう。

